意気消沈して曰く

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表現できない「何か」を言葉に変えるために

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like-penくんの思想をモデル化する

はじめに

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『虚像を捉えろ』というブログがあった。文章を書いているのは、文房具界隈民ならまあ知らない人は少ないのではないか、と推測されるほどの人気を誇った、like-pen(@like_peeeeeeen)くんであった。

書かれた文章は彼の経験・感覚に根差したものであった。使われる言葉やそれによって構成される文章は難解であり、それ故にひねくれ者の僕を強く惹きつけた。

読み解いていくと、彼の繊細な思想が何となく浮き彫りになってきた。それは魅力的なものであり、僕は彼のブログを楽しみに待つようになった。端的に言えばファンになった。

ある日、彼は自殺をした。自殺というのは、現実のことでは無く、観念上のことである。彼は「like-pen」という人格を殺した。

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僕はTwitterから離れていたので詳しいことは分からない。しかし、彼の自殺の原因がTwitter上の関係にあることは彼の記事を読めば容易に理解できた。

彼は自殺をした。アカウントに鍵をかけ、ブログの記事の多くを消した。個人的にはログとして残しておいてほしかったのだけれども。しかしながら、これは示唆的でもあると思った。誰かに意見するというのは、言葉という武器を以てして、相手を不可逆的に傷つける危険性を孕んでいる、ということだ。例えばCDは一度傷ついてしまったなら二度と内蔵されたデータを取り出すことはできない。そしてその意味において、like-penくんは「取扱注意」だったことは明らかであったと思う。彼の文章を読めば、そしてそこから何かしらの思想を感じたならば、彼という人格が傷つき易いものであることくらい分かるはずだった。それにもかかわらずCDに爪を突き立てるようなことをした、僕の知らない誰かに対して、僕は軽蔑の念を抱く――とはならず、ただ絶望の眼差しを向けることにする。残念ながら、過去に発せられた彼の思想の多くは、今となっては読み取ることが困難である。

それはともかくとして、この記事では、彼の生み出した「タナ⇔エロ」やその他多くの概念をモデル化することで、彼の生み出す難解な文章から紡がれる難解な思想を分かりやすく伝えるだけでなく、モデル化という作業によって思想の一般化を図り、新たな概念として再定義することにより、そのモデルから新たに導き出される思想を云々する、というところまでを目的とする。自分でも非常に野心的な取り組みであると思う。

どうしてそのようなことを思い立ったかというと、実は僕は彼と個人的に連絡を取っていて――そこで僕の小説についていろいろ意見をもらったりしているのだが――そこでの交流を通して、モデル化のアイデアが浮かび上がってきたのである。であるからして、ここでの僕の「like-penくん考」とでも言うべき取り組みは、彼の思想に、当たらずとも遠からずである、と自負している。

まず、結論としての完成形のモデルを提示する

モデルに至った過程を説明するのは難しいので、この記事ではあまり言及しない。

まず、結論としてのモデルを提示し、そこに至るまでのポイントを解説する、という記事の構成をしようと思う。

完成形のモデルは以下である。

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タナ-エモ空間

の半円は個々の主体、つまり人間を表す。また、XY平面とも言うべき、黒色の軸2つで構成される平面はエモを示す。Z軸タナ軸と言い換える。

半円についての説明をする。主体には中心点、すなわち「立場」が存在する。しかしながら、主体の主観は「想像力」によってタナ-エモ空間を移動することができる。「想像力」はそれぞれの「立場」にある程度縛られると考えることができるから、主観の移動し得る可能性は中心点から同心球状に分布すると考えられる。これが半円を構成する。

が重なる部分がある。この空間においてエロという概念が発生する。他人と主観を共有する、すなわち「見える景色が同じになる」「思想を共有する」ということがエロなのである。

「想像力」をタナ軸方向に振ると、より強く「タナ」を感じる。これは「解離感」と言い換えることができる。人間の「立場」であるエモ平面から離れることになるため、俗世から離れた感じ、いわゆる「悟り」に近い状態とも捉えられる。

……と言っても、まるで分らないであろう。

タナとは何か

「タナ」はlike-penくんがよく提唱している概念である。彼によると、「タナ」は「エロ」の対義語であり、それらは相対的に成立している。

「タナい瞬間」とはどんな時か。彼は例として夕景のビル群を挙げていた。そこに人間めいたドロドロとした気配は無く、無機質で硬質な印象を受ける。これが「タナ」である。

人間めいた印象から離れる、というのは重要かもしれない。「タナ」はおそらく「タナトス」から来ている。そういう、ともすれば死の気配すら覚える感覚が「タナ」である、とすると、人間の気配と対極をなす概念である、というのもうなずける。

僕個人的にはタナは分子運動が止まったような冷たい印象を持っている。全てが静まり返るような感覚だ。そこに温度や息づかいは感じられない。「分子運動が止まったような」というアイデアから考えて、断熱膨張を思い浮かべてもいいかもしれない。意識が拡散して、辺りは静まり、全てが死の世界に近づくような感覚。逆に断熱圧縮すると分子運動が活発になり、熱が生まれるが、それは意識が集中して心が騒めき、否応なしに生の気配を感じる、と捉えることができるし、実感とも合っている。この 集中⇔拡散 は以下のエントリとも繋がる。

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 「想像力」と「言語」との関わり

また同じエントリを貼ることになるのだが……(汗)

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ここでは言語の役割についての考察が述べられている。僕の小説を読んで思いついたとのこと。なんというかありがたい。

言語について、高校の教科書にも載っている、野矢茂樹の『猫は後悔するか』という論説で述べられている考え方が面白い。ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』において提唱した、可能な事実の総体:論理空間 という用語を導入し、「論理空間は何によって開かれるか?」という問いに対して、「言語によって開かれる」というアンサーを出す。我々は「単語」を組み合わせて、現実には起こっていないことを「文章」として「想像」できる、というのがその根拠だ。論は「だから、猫は言語を話せないため論理空間を開けず、『後悔』というイマココではないことを「想像」し得ない、故に猫は後悔しない」というふうに続く。

逆に言えば、僕ら人間は言語によって非実在の可能性について「想像」を巡らせることができる。このアイデアが、実は今回のモデル化に重要な役割を果たしている。

エモ平面、というアイデア

 座標軸のような十字の線の中心に、縦長の楕円形が描かれている。

「宗教かなんか?」

「違うって」

(中略)

「この円内がパブリックね。それで、Xがマイナスになるにしたがってマイノリティ、Xがプラスになる方向がマジョリティ」

 怪しい思想としか思えない

「で、Yは?」

「価値観とかかな?」

「なにゆってっかわかんねーなあ」

絲山秋子『薄情』の一節である。このイメージを図示すると以下のようになるだろうか。

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「つまりね。価値観とかは違ってても、マジョリティとマイノリティが交われる範囲があって、そこが公共っていうかパブリックかな」

「はあん」

「ちゃんと聞いてます?」

「じゃあ聞くけど」

 宇田川は的外れかどうかわからないまま言った。

「その、マジョリティとマイノリティが交わる場所があるとしてだ、そんなのマジョリティ側が感じている雰囲気に支配されているだけなんじゃね?」

「雰囲気っていうか、秩序だと思うのね。多分、マジョリティから見た秩序とマイノリティから見た秩序がずれてる」 

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「おーか極論げだな」

「ううん、ここのX軸は無段階だから、個別に中心点も違うし、違って見えてていいんじゃないかと思うよ」

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 この小説の中で語られているアイデアを導入すると、ピンク色と青色の秩序の均衡点を見出して、緑色の「パブリック」を作る行為が「政治」と言えそうだ。また、座標平面にあることから、これを統計的に処理するのが社会学であるとも言える。

それはともかく、座標平面に置く、というのは大きな可能性がある。数学的な概念に乗っかって考えてみることで、理解しやすくなるし、思考も発展しそうだ。

ここで先程の「想像力」の考えを混ぜてみる。『薄情』の座標平面は各個人を「」として捉えているが、先程僕は、「言語」の下支えするところによる「想像」力によって非実在の「可能性」について思いを巡らすことができる、というアイデアについて語った。これをどう座標に表わそうか、というところで「円」のアイデアが出てくる。

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に「想像力」を付加することによってが作られた。これによって、だけ見るとそれはマジョリティの秩序に属するというふうに中心からのベクトルの方向や大きさによってとらえられるが、想像力のベクトルパブリックに向けて振るとそれはパブリックに属するというふうに中心からのベクトルの方向や大きさによってとらえられる。

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もちろん、想像力のベクトル個人的で特殊な価値観に振ると、立場としてはマジョリティの秩序にいたはずなのに、マジョリティの秩序からも外れてしまうことだってできる。

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いや、日常を送るうえでは、「想像力を振り切る」ことはせずに、「想像力を働かせる」くらいのニュアンスであることの方が多い。この点において、|p-c|≦r(中心C(c)、半径r)であろう。

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点pの軌跡は半径rの内側も描く

いやいや、これでは不適当だ。点pのいる「確率」は、中心点から同心円状に分布しているはずだ。

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点pのいる確率を図形に組み込む

こうして、2人(2点)だけ取り出して、シンプルに図示してみると、以下のようになる。

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さて、ここで面白いことが起きる。図でいうは「立場」が異なる。それにもかかわらず、「想像力」の波及範囲は重なっているのだ。これによって、赤と青が「立場」を同じくする、すなわち「同じ考えに立つ」ことだって可能だ。

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「想像力」によって「同じ立場」になった!

ここで思い出して欲しい。「想像力」は「言語」のつかさどる分野である。2人、という所から、コミュニケーションと言い換えてもいいかもしれない。コミュニケーションによって思想を共有する、というのは、人間関係の最たる部分ではないか。

「タナ」の話の時に、それの対極となるのが「エロ」だという話をした。そして「タナ」は「人間」的なニュアンスから離れたところにいる概念だ、という話をした。その意味において、コミュニケーションによって思想を共有する、というのはとても人間臭い行為であるから、「エロ」だと言うことができると思う。紫のベクトルが作られるとき、それはエロなのだ。

このエロを象徴する例としてペアルックが挙げられる。あれは「同じ服を着ることを選択した」というところから、「同じ発想をする」「思想を共有している」ということを象徴的に示している。

さて、紫の平面が「エロ」なら、それ以外の平面はどうとらえたらいいだろう。

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世の中にはうまくいかないことだってある。ざまあみやがr

これはお互いがお互いに「孤立」している状態だと言える。しかし「孤立」も「エロ」同様「心を揺さぶる」状況ではある。例えば、孤独からは寂しさが生まれる。このことから、平面を「エモ」という言葉で表現できるのではないだろうか。「エロ」は「エモ」における特殊事例である。本来孤立した2人の「立場」が「言語」に下支えされた「想像力」によって重なる時、「エロ」が生まれる。このXY平面は「エモ平面」と言えるだろう。

モデルに「タナ」を組み込む

さて、問題は「タナ」である。死のニュアンスを含んだ、心が空っぽになるような、それでいて美しさを感じるような「タナ」をどのようにしてモデルに組み込むか。

答えは簡単である。Z軸を加えるのだ。モデルに空間的広がりを持たせることで、タナを組み込むことができる。

Z軸の根拠として、タナの特徴である「離人感」が挙げられる。ようは解離である。

「エモ平面」は人間世界を象徴している。ベクトルの方向や大きさによって「立場」が決定され、また「想像力」によって2つのベクトルが重なると「エロ」が生じることもある。それは「言語」すなわち「コミュニケーション」によって担保される。まさに人間社会そのものである。

対して「タナ」はその人間臭い事象から距離を置く概念である。「エロ」と相対的に理解される。先程「エロ」は「エモ」の特殊事例である、というモデルを作った。「エモ平面」のことである。「エモ平面」と「タナ」を相対的にモデルに組み込むにはどうすればよいか。Z軸が適当であることは明白であろう。

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いわゆる「タナ-エモ空間」である。「タナ」も「言語」が開く論理空間のつかさどる分野である(ここで気付いたかもしれないが、「論理空間」という言葉は、図らずも「タナ-エモ空間」を示唆していた。もちろん、これは偶然で、この世界が三次元であるという常識に基づいて生み出された言葉ではあろうが。『論理哲学論考』を読んでいないのでわからない)。その「想像力」を「エモ空間」から見てメタな方向すなわちタナ軸方向に振ると「タナさ」が強くなる。

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タナ

このモデルだと、「タナを含んだエロ」も想定できるのが面白い。

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タナ-エロ

タナがエモ平面から「メタ」であるということは何を示唆しているのだろうか。ひとつは、タナが現実世界からの逃避であるというとらえ方もできる、ということだ。また、「エモ平面」が現実社会すなわち「具体」だとおくと、「タナ軸方向」は「抽象」であるということだ。また、「想像力」を振り切るという点において、「タナ軸方向のベクトル」は「拡散」に向いているとも言える。もっとも、これはエモ平面にも言える事だが。

おわりに

今回は、like-penくんの難解な思想を、空間座標にモデルとして描き出すことで、理解しやすくし、またそこから新たな示唆を得た。こういう抽象的な話は難しい分理解する時の喜びが大きいし、得られるものも多い。

ベクトルが重なる点が「エロ」であると述べてきた。それは言語がつかさどっている。この意味において、言語を「物語を作る」という行為に利用している者としては、できるだけ多くの人にとっての「エロ」たる物語を作りたいところだ。精進したい。